ザ・ビートルズ楽曲データベース

The Beatles Recording History

「一度原点に戻ろうよ。」とのポールの提案で始まった「ゲット・バック・セッション」。しかし無駄に張り切るポールになんとなくついていけない他の3人。

リハーサル中もずっと撮影されているというプレッシャー、そして慣れない環境の元で良い物が出来るはずも無く、ポールとジョージの口論まで撮影されてしまう。

アップルの屋上でライブをやった後、4人はこのプロジェクトを放棄する。

しかし7月。4人は「最後の奇跡」を形にするために再びスタジオに集まったのだった。

そんな1969年。

1969

Date 曲名 備考
1/2  

※通称「ゲット・バック・セッション」の開始。

トゥイッケナム・フィルム・スタジオにて映像撮影と同時進行でのセッションがスタート。

1/10   ジョージ、ポールと口論の末、脱退宣言の後スタジオを飛び出す。
1/16   不毛だったトゥイッケナム・フィルム・スタジオでのセッションを終了。
この間に演奏された曲(90時間に及ぶ)から無数の海賊版が生まれる。
1/17 10thアルバム「イエロー・サブマリン」発売。
A面に新曲4曲、B面には映画で使われたインスト曲が収録されている。
1/20   4人はセッションの場所をアップル・スタジオに移す。
1/22 たまたまアップルにいたビリー・プレストンをジョージが捕まえて、セッションに引きずり込む。
この日の「ディグ・ア・ポニー」「シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー」は「アンソロジー3」に後に収録されるまでは未発表テイクだった。
1/23 この日、10テイクほど録音されたが未発表のままである。
1/24 トゥ・オブ・アス」「アイヴ・ガッタ・フィーリング」のこの日のテイクはアルバム「ゲット・バック(未発表)」に使われた。
マギー・メイ」のこの日のテイクはそのまま「レット・イット・ビー」にも使用されている。
1/25 レット・イット・ビー」のこの日のテイクは「アンソロジー3」に収録されている。
フォー・ユー・ブルー」に関してはこの日しか演奏されていないが、1970年1月8日にボーカルが差し替えられた後に「レット・イット・ビー」に収録されたのかもしれない。
(アルバム「ゲット・バック」の物とはヴォーカルが違うので)
1/26 ディグ・イット」はこの日のテイクから抜粋されたものが後の「レット・イット・ビー」「ゲット・バック(未発表)」に収録されている。
この日はたくさんのオールディーズナンバーが演奏され、その光景は映画「レット・イット・ビー」の中で確認できる。
(「オクトパス・ガーデン」をジョージとリンゴがピアノで歌っているのもこの日の出来事である。)
他に「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」も録音されて、この日のテイクが「アンソロジー3」に収録された。
1/27

※この日、ヨーコ・オノの離婚が正式に成立。

この日の「ゲット・バック」はアルバム「レット・イット・ビー」に収録されている(シングルとは別テイク)。
また「オー・ダーリン」も演奏されており、後に「アンソロジー3」に収録された。ジョンが「(ヨーコが離婚して)オレは自由だ!」と歌い出すのがある意味リアルである。

1/28 この日の2曲のテイクはそのままシングルにも使用された。
また「ワン・アフター・909」は1963年に取り上げて以来の曲で、アップテンポにてリメイクされた。
1/29 これはリハーサルテイク。
この日に演奏された「Mailman,Bring me No more Blues」は「アンソロジー3」に収録されている。
1/30

※アップルの屋上でライブ演奏を行う。

  1. Get Back (リハーサルテイク)
  2. Get Back
  3. Don't Let me Down
  4. I've Got a Feeling
    (映画、アルバムに使用されたのはこのバージョン)
  5. One After 909
    (映画、アルバムに使用されたのはこのバージョン)
  6. Dig a Pony
    (映画、アルバムに使用されたのはこのバージョン。)
  7. God Save the Queen
    (英国国歌。テープ交換の際に演奏された即興)
  8. I've Got a Feeling
  9. Don't Let me Down
  10. Get Back(後に「The Beatles Anthology 3」に収録された。)
この最後のコンサートのテイクから3曲選ばれてアルバム「レット・イット・ビー」に収録されている。
1/31 前日のライブに引き続き「室内向きの楽曲」のスタジオ・ライブ。
この日のテイクはいずれも採用されてアルバム「レット・イット・ビー」に収録されている。
2/5   1/30の屋上ライブをミキシング。
2/22 3週間の中断の後、トライデントスタジオにて録音再開。
2/23 前日のテイクを編集。
2/24 前日のテイクをテープコピー
2/25 ジョージ26歳の誕生日のこの日、アビイ・ロードに一人で出向きデモテープを作成。後でソロで発表する「オール・シングス・マスト・パス」もこの日に録音された。なお、この3曲は「アンソロジー3」に収録されている。
3/?   ジョンとポールはグリン・ジョーンズを呼び出して
「あの1月から録音した大量テープを覚えてるか?」と尋ねる。
そして「後はまかせた」とゼネコン真っ青の丸投げを依頼。
3/10  

※アルバム「ゲット・バック」のためのミキシングセッション

オリンピック・スタジオでグリン・ジョーンズ(マーティン卿は不在か?)が単独で行ったミキシング。

3/11   この日もアルバム「ゲット・バック」のためのリミックス作業。
3/12   この日もアルバム「ゲット・バック」のためのリミックス作業。
3/13   この日もアルバム「ゲット・バック」のためのリミックス作業。
しかしこの日でこの作業は一旦中断される。
3/20   ※ジョンとヨーコ、正式に結婚。
3/26   ジョンとヨーコ、この日から三日間の「ベッド・イン」イベントを行う。
場所はアムステルダム・ヒルトンの702号室。
3/26 急遽シングル発売のためのリミックス作業。
しかしこのテイクは後に破棄される。
4/7 オリンピック・スタジオにてポールの立ち会いの元でリミックスをやりなおす。3/26のリミックスがメンバーは気に入らなかったらしい。
(もうアセテート盤が出来ているにも関わらず、であるw)
4/11 19thシングル「ゲット・バック / ドント・レット・ミー・ダウン」が発売。
もちろん全ての店頭に間に合うはずが無く、数日後に店頭に並んだとか。
4/14 ジョージは休暇中、リンゴは映画「マジック・クリスチャン」の撮影の為で不在のために、このレコーディングはジョンとポールの二人で行われた。
4/16 しっかりデモテープを作ってあったおかげか「オールド・ブラウン・シュー」はわずか4テイクでバックトラックが終了。
サムシング」はこの日はバックトラック制作に費やされるが後にボツ。
4/18 オールド・ブラウン・シュー」にオルガンとギターをオーバーダブ。
アイ・ウォント・ユー」はトライデントでのテイクにジョンとジョージの2人がギターをオーバーダブ。
4/20 この日に正式なレコーディングが開始される。
4/26 オクトパス・ガーデン」はこの日、正式に録音が開始される。
4/29 リンゴのボーカルを再録音。
4/30 レット・イット・ビー」1/31のテイクにリードギターをオーバーダブ。
(この時点で『オーバーダブはやらない』とのコンセプトは崩れる。)
その後、ジョンとポールのみで「ユー・ノウ・マイ・ネーム」にボーカルをオーバーダブする。なんと1967年6月9日以来の録音であった。
5/2 正式なリメイクを開始。
この日は36テイクの録音。
5/5 オリンピック・サウンド・スタジオでのセッション。
ポールがベース、ジョージがギターをオーバーダブ。
5/6 ここらへんからアルバム「アビイ・ロード」のアイデアが出てきているのか、真面目なバックトラック作りが始まる。
しかしアルバムとしてのコンセプト立てはこの年この時点で、なにも形になっていないのである。
5/7  

※アルバム「ゲット・バック」のためのミキシングセッション

この日は曲間などに入れるおしゃべりを抜粋して編集。
5/9   前回に引き続きおしゃべり抜粋作業。
5/26   ジョンとヨーコ、2回目の「ベッド・イン」イベントを開催。
この日から1週間。会場はカナダのクイーン・エリザベス・ホテル1738・1742号室であった。
5/28  

※アルバム「ゲット・バック」が完成。

ようやくグリンの苦肉の作業によりアルバムとしての体裁が整ったこの日、イギリス国内にいたのはジョージのみだった。
しかしこのアルバムは延期につぐ延期が発表され、1970年にはそのまま立ち消えになってしまうのである。

この日に出来たマスターから米国のラジオ曲用にサンプル盤が作られて配布された。
このサンプル盤から海賊版が作られて、今では容易に入手できる。

5/30 20thシングル「ジョンとヨーコのバラード / オールド・ブラウン・シュー」が発売。
6/1   ベッドインイベント中にジョンとヨーコが「平和を我等に」を録音。
7/1 1ヶ月の休暇の後、再びセッションに集まりつつあった。
この日はポール一人でこの曲にボーカルをオーバーダブする。
7/2 ジョンは自動車事故の為に7/6までスコットランドの病院に入院していたためにこのセッションには参加していない。
7/3

オーバーダブセッション。
ジョンのいない所で「Boy, you're gonna carry that weight Carry that weight a long time」と他の3人が歌う。。なんか意味深な感じです。

7/4 前日に引き続きのオーバーダブセッション。
7/7 ジョン不在のセッション。
まずはベーシックトラックを13テイク録音する。
7/8 ジョージのボーカル、ポールのコーラスをオーバーダブ。
7/9 トゥイッケナムでのセッション以来の登場。
この日にジョンは録音に復帰。
しかし片時も離れられないお二人はヨーコの為にスタジオ内に大きなベッド(ヨーコは怪我がひどかった)を持ち込んでみんなの顰蹙を買った。
7/10 オーバーダブセッション。
この頃からジェフ・エメリックも録音現場に復帰している。
7/11 すべてオーバーダブセッション。
7/15 ヴォーカルとチャイムをオーバーダブ。
7/16 どちらもオーバーダブセッション。
7/17 オー・ダーリン」はポールがボーカルをオーバーダブ。
(これはこの日から数回続く)
オクトパス・ガーデン 」 はブクブクSEやコーラスをオーバーダブ。
7/18 オー・ダーリン」はポールがボーカルをオーバーダブ。
オクトパス・ガーデン 」 はリンゴがボーカルをオーバーダブ。
7/21 4/14以来のジョンの曲の登場。
7/22 オー・ダーリン」はポールがボーカルをオーバーダブ。
カム・トゥゲザー」はボーカル、ギター、マラカス等をオーバーダブ。
7/23 オー・ダーリン」はポールがボーカルをオーバーダブ。
ジ・エンド」は7テイク録音した。
7/24

早起きポールはスタジオで「Come and Get it」のデモテープを一人で作成。これは後に「アンソロジー3」に収録される。後にバッド・フィンガーがリリースするためのデモテープであった。

ジョンによる2曲はベーシックトラックのみ作成。
その後にジーン・ヴィンセントの「Ain't She Sweet」が演奏され、これは「アンソロジー3」に収録されている。

7/25 サン・キング」「ミーン・ミスター・マスタード」「カム・トゥゲザー」はオーバーダブセッションのみ。
ポリシーン・パン」「シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー」は当初から1曲としてつなげて録音開始された。
この日は39テイクを重ねている。
7/28 この2曲へのオーバーダブセッション。
7/29 この3曲へのオーバーダブセッション。
7/30 細かい楽器を各自オーバーダブする日。
そしてこの日からB面のメドレーをいかにつなげていくかという試行錯誤が始まるのである。
7/31 ポールによる細かい修正日。
ティンパニーをリンゴと共にプレイした記録はあるが使われたかどうかは不明だそうだ。
8/1 バッキングトラック~コーラスまでこの日に一通り録音を終える。
8/4 さらにコーラスを追加。
8/5 ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」のフェイドアウト部分にSEを追加。そしてこの日ムーグ(今ではモーグ)シンセサイザーがスタジオに登場。ジョージが「ビコーズ」にオーバーダブ。
8/6 ヒア・カムズ・ザ・サン」にジョージがアコースティックギターをオーバーダブしている間、ポールは「 マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー 」にムーグをオーバーダブする。
8/7 ヴォーカルとギターをオーバーダブ。
8/8

※スタジオ前の道路で「アビイ・ロード」のジャケット撮影。

ジ・エンド」にドラムとベースをオーバーダブ。
その後ポールは一人で「オー・ダーリン」にギターとタンバリンを、
ジョンは「アイ・ウォント・ユー」にムーグによるノイズをオーバーダブ。

8/11

アイ・ウォント・ユー」はコーラスをオーバーダブするも、ジョンはどっちのマスターを使うかまだ悩む。

オー・ダーリン」はコーラスを追加。

8/12   ミキシング作業。
8/13   ミキシング作業。
8/14   B面メドレーの編集含むミキシング作業。
8/15 オーケストラのオーバーダブセッション。
1日で全て済ませた。
8/18 ギターバトルの後の4小節のピアノをオーバーダブ。
8/19 ジョージがムーグをこの曲に追加。
8/20 ようやくどっちのマスターを使うかを決定する。
なお4人がスタジオで集まってセッションしたのはこの日が最後となった。
8/21   ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」と「サン・キング」の間の調整。
8/25   ここでマスターテープが完成。
9/11   1968年8月14日の「What's the new Mary Jane」をステレオミックスを作成。これはジョンの指示だった。
9/26 11thアルバム「アビイ・ロード」が発売。
10/2 世界野生動物動物基金チャリティーアルバム「No One's Gonna Change Our World」に収録が決まったために、1968年2月8日のテープが引っ張り出されて鳥の声と羽ばたきの音を追加する。その際に回転をかなり上げたためにピッチが半音近く上がっている。
10/31 21thシングル「サムシング / カム・トゥゲザー」が発売(両A面シングル)。
ビートルズ史上、初めての発売済みアルバムからのシングルカットである。
11/26   「What's the new Mary Jane」と「ユー・ノウ・マイ・ネーム」のリミックス。
これはジョンが自身のバンド、プラスティック・オノ・バンド名義でこの2曲をカップリングして12/5にシングルとして発売しようとしたためのセッションだった。
しかし、これは中止となり「ユー・ノウ・マイ・ネーム」は後にシングル「レット・イット・ビー」のB面として収録された。
12/12 チャリティーアルバム「No One's Gonna Change Our World」発売。
これにより「アクロス・ザ・ユニバース」がリリースされた形となる。

ビートルズ公式録音曲213曲を徹底的に解説!テイク違いやミックス違い、そして2009年リマスターについてを動画等を交えて書き連ねています。

△ページ最上部へ移動

ザ・ビートルズ曲雑記ブログ レコーディング年表(1962-1970) ステレオ・モノラルその他テイク違い一覧表 イギリス本国でのシングルレコード一覧表