ザ・ビートルズ楽曲データベース

I've Got A Feeling

邦題
アイヴ・ガッタ・フィーリング
作者
Lennon/McCartney(二人の共作)
リードヴォーカル / コーラス
ポール、ジョン / -
使用楽器
  • Höfner Bass (Paul)
  • Epiphone Casino (John)
  • Fender Telecaster (George)
  • Ludwig (Ringo)
  • Fender Rhodes (Billy Preston)

Recording Data ~レコーディング・データ

ビートルズの12枚目の英国オリジナルアルバム、そしてラストアルバムとなった「レット・イット・ビー」の8曲目(アナログ盤ではここからB面)に収められているナンバー。
1970年5月8日に発売されているこのアルバムだが、録音は前アルバム「アビイ・ロード」より前に行われている。
ポールとジョンがそれぞれのリードヴォーカルの部分を作詞・作曲しており、一つの曲として繋ぎ合わされた。

1969年1月2日から始まった、トゥイッケナム・フィルム・スタジオでのリハーサル時からこの曲は演奏されている。
映画「レット・イット・ビー」にもフィルムスタジオ内でこの曲を演奏する場面が確認できる。
その際にポールは、ブレイク部分のギターのチョーキングのニュアンスをジョンに対して(ある意味執拗に)行っており、ジョンはそれに対して明らかに真剣ではない態度で返している。(この部分はジョージがプレイする事になった)

1969年1月22日、サヴィル・ロウのアップルスタジオでのセッション開始。
この日もこの曲は演奏されている。

1969年1月24日。サヴィル・ロウのアップルスタジオでの録音セッション。
この日は「マギー・メイ」や「ディグ・イット」などのリリースバージョンが収録されている。
この曲もプレイされて、同日に収録された「ディグ・ア・ポニー」とこの曲のテイクは、曲間に喋りなどが付け足され、未発表アルバム「ゲット・バック」に収録されている。

1969年1月27日。サヴィル・ロウのアップルスタジオでの録音セッション。
この日もこの曲は録音されている。
この日は後に「アビイ・ロード」に収められる「オー・ダーリン」の初期テイク(後に「The Beatles Anthology 3」に収められたバージョン。ジョンが『ヨーコの離婚が決まった!オレは自由だ!』と歌い出すもの)も収録された。

1969年1月28日。サヴィル・ロウのアップルスタジオでの録音セッション。
この日もこの曲は演奏されており、ビートルズがこの曲に力を入れていた(もしくはアレンジを模索していた)事が伺える。

1969年1月30日。この日はアップル屋上での「ルーフ・トップ・コンサート」。
ビートルズはこの曲を2回演奏しており、1回目のバージョンが映画「レット・イット・ビー」そしてアルバムに収録された。

ちなみにこの「ルーフ・トップ・コンサート」のセットリストは以下。

  1. Get Back (リハーサルテイク)
  2. Get Back
  3. Don't Let me Down
  4. I've Got a Feeling(映画、アルバムに使用されたのはこのバージョン)
  5. One After 909(映画、アルバムに使用されたのはこのバージョン)
  6. Dig a Pony(映画、アルバムに使用されたのはこのバージョン。)
  7. God Save the Queen(英国国歌。テープ交換の際に演奏された即興)
  8. I've Got a Feeling
  9. Don't Let me Down
  10. Get Back(後に「The Beatles Anthology 3」に収録された。)

About from "Get Back" to "Let it be" ~アルバム発売までの経緯

1968年10月に「ザ・ビートルズ」 (通称:ホワイト・アルバム)のセッションが終了。
マネージャーだったブライアン・エプスタインの死後、船頭を失ったビートルズはアップルの設立など、
半ば無茶とも思える試みを行ってきた。
華々しく見えたビートルズの前途であったが、内部はすでにバラバラの状態だったのである。

当時グループを引っ張る立場であったポールはある提案をする。
混沌とする活動状況を打破する為に、ポールが打ち出したのは「原点に帰る」というコンセプトだった。
デビュー時の様にオーバーダブなしのライブでアルバムを制作しコンサートツアーを行う、という企画である。
しかし、アルバム制作は了承したものの、他の3人(特にジョージ)はツアーには難色を示す。
妥協案として1度だけのコンサートも企画されたが、これも結局流れてしまった。

最終的にリハーサルなどを含むドキュメンタリーを制作しテレビで放送する、という事で合意した4人は
1969年1月2日にトゥイッケナム・フィルム・スタジオに姿を現し、リハーサルと撮影、録音を開始する。
「ゲット・バック(原点に帰る)・セッション」の始まりである。

しかし、いつも撮影されているというプレッシャー、そして薄ら寒いだけの撮影スタジオという慣れぬ環境。
張り切るポールはあれやこれやとジョージに指示、ジョージはそれに反発して口論となり
5ヶ月前にリンゴがしたように、1月10日にスタジオを飛び出してしまう。
数日後にジョージは復帰するが、テレビショウに関しては意見を曲げず、結局この企画は流れてしまう。

ビートルズは結局、トゥイッケナム・フィルム・スタジオでのリハーサルを中止し、
自らが作ったアップル・スタジオに移動して、1969年1月22日からセッションを再開。
ジョージはこの日たまたまアップルに居合わせたキーボード奏者、ビリー・プレストンをセッションに誘う。
外面の良いジョンとポールに対して、外部の人間を引き入れるのは効果的だった。

映像撮影、そして「オーバーダブをやらない」というコンセプトのアルバム制作は続行されるものの
1969年1月30日のアップルビル屋上での「ルーフ・トップ」コンサート、そして翌日のスタジオセッションをもってセッションを中断。
総時間、90時間以上の撮影・録音テープを残したまま、ビートルズはアップルスタジオを去った。

2月22日には「アビイ・ロード」に収録される「アイ・ウォント・ユー」の録音をトライデントスタジオで開始。
そして3月の初旬、ジョンとポールはグリン・ジョーンズに1月のセッションテープからアルバムを作る事を依頼する。
4月11日にこのセッションからのシングル「ゲット・バック / ドント・レット・ミー・ダウン」がまず発売された。
4月14日にはジョンとポールが二人で「ジョンとヨーコのバラード」を録音。これは5月30日に発売された。

そして5月28日。グリン・ジョーンズはアルバム「ゲット・バック」を完成させる。
このアルバムのためのフォトセッションも行われた。
デビューアルバムと同じ場所、同じ構図での写真撮影はこの時のメンバーの意気込みを感じさせたが
このアルバムは発売延期の声明が出された。
しかし後に、北米のラジオ局用に作ったサンプル盤からこのアルバムの海賊盤が作成される事になる。

Album[GetBack]
現在出回っている海賊盤「ゲット・バック」のジャケット
この写真は後にベスト盤「ザ・ビートルズ 1967年-1970年(通称:青盤)」に使用された。

この後7月からはアルバム「アビイ・ロード」のセッションが本格化。
そして9月26日にアルバム「アビイ・ロード」が発売。
アルバム「ゲット・バック」の事は誰もが忘れかけていたが、1月の撮影フィルムを映画にする事だけは決まっていた。

年が明けて1970年1月3日。
あの悪夢のトゥイッケナムからちょうど1年後のこの日、ビートルズ(ジョンを除く)はアビイ・ロードに集まる。
正式な録音がされていなかった「アイ・ミー・マイン」の録音のためである。
これは映画との整合性を図るために追加で行われたセッションだった。。
そして1月4日のセッションがビートルズとしての最後の録音セッションとなった。

未だに「延期」としてアナウンスされているアルバム「ゲット・バック」は
1月5日に収録曲を入れ替えて再度グリン・ジョーンズによって制作される。
3月6日にはラスト・シングルとなった「レット・イット・ビー」が発売されるが、アルバム「ゲット・バック」は結局発売されなかった。

1月27日。
アビイ・ロードスタジオでジョンは自己のソロ名義であるプラスティック・オノ・バンドの3枚目のシングルである「インスタント・カーマ」を録音開始。
このレコーディングのプロデュースは、名プロデューサーであるフィル・スペクターであった。
ジョージもギターでこのレコーディングに参加。二人はフィルの仕事ぶりに大変感銘を受ける。

そしてジョンとジョージは「ゲット・バック(になるはずだった)」のマスターテープをフィル・スペクターに託す。
俺達と仕事がしたけりゃこの膨大なクズテープをアルバムに仕上げてくれ。
フィル・スペクターは自分の持ち味であるオーケストラと女声コーラスなどを加えた「ウォール・オブ・サウンド」で処理を行い、アルバム「レット・イット・ビー」として制作が開始される。

ポールはこの決定を聞かされておらず、自分の楽曲に過剰なアレンジをされた事に激怒した。
そして4月10日。デイリー・ミラー紙がポールのインタビューをスッパ抜く。
今後ビートルズのメンバーと作曲することはない」(ソロアルバム「マッカートニー」の販促物より)
4月17日にこのソロアルバム「マッカートニー」は発売され、ジョンは「脱退宣言を(自分のアルバムの)宣伝に使った。」としてポールを激しく批難した。

もはやこの時点でビートルズとしての活動は望むべくもなかった。

ラストアルバムとなった「レット・イット・ビー」は1970年5月8日に発売された。
ここに4人の伝説は幕を閉じたのである。

撮影されたフィルムは映画「レット・イット・ビー」として1970年5月20日に公開された。
バラバラになりつつある4人の姿がこの映画にはありありと映し出されている。

その後、ゲット・バック・セッションの膨大なテープは流出し大量の海賊盤を生み出す事となった。

2003年にはリミックスアルバム「レット・イット・ビー...ネイキッド 」が発売された。
これは「当初出すつもりだったオーバーダブなどを含まないアルバム」としてのコンセプトに乗っ取り、現在のアビイ・ロード・スタジオのエンジニアが、当時のマスターテープから改めてリミックスしたものである。
ジョージ・マーティンやビートルズのメンバーはこのアルバムの制作には一切関わっていない。
たまに「レット・イット・ビー」のアルバムから音を取り除いた、と表現される事があるが間違いである。
実際に異なるテイクを繋ぎ合わせたりの処理が行われているし、アルバム「レット・イット・ビー」に使用されたテイクとは明らかに違う曲もある。

またこの「ネイキッド」は当時制作されたアルバム「ゲット・バック」とは全く違うものである事も表記しておく。

Out Takes ~ミックス、テイク違い&リマスター

  1. The Beatles Anthology 3」に、1969年1月23日の別テイクが収録されている。
    しかし1969年1月23日のレコーディングでは「ビートルズ・レコーディング・セッション」によると、この曲は演奏されていない。海賊盤で出回っている「ゲット・バック」に収録されている物とまったく同じ演奏テイクなので、この本の記述が正しいとすれば1969年1月24日のテイクである。
  2. レット・イット・ビー...ネイキッド 」にも屋上コンサートのテイクが収められているが、これは今まで未発表だった2回目の演奏テイクを元に、1回目のテイクから良いところを切り貼りしたりなどの複雑な編集を施してある。
    最初は、なにが「ネイキッド(裸の)」だ笑わせんなwwと思ったけど、今は悪くはないなあというのが私感。

An anecdote ~ こぼれ話

  1. 映画「レット・イット・ビー」でのポールのジョンに対するレクチャーの後でサビだけを演奏するが、その際にポールが「Good Morining!」と叫ぶのがちょっとおもしろい。なんで「おはようございます!」なんだろうかw
  2. ジョンが歌っている部分は「Everybody Had a Hard Year」という曲名であり、すでに「ホワイト・アルバム」のセッション時にはデモテープを作っていたそうだ。映画「イマジン」でもこの曲を歌っている場面が確認できる。
  3. マンガ「BECK」にこの曲を演奏するシーンが出てくるけど、個人的にはピンとこない。

Youtube

参考文献

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ビートルズ公式録音曲213曲を徹底的に解説!テイク違いやミックス違い、そして2009年リマスターについてを動画等を交えて書き連ねています。

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