バーナード・パーディがビートルズで叩いてるという疑惑

バーナード・パーディと言えば、いわずとしれたセッションドラマー。

この方、なんとインタビューで、
「ビートルズの21曲はオレが叩いた」と発言しているらしいです。

さて、まずはウワサの出所の検証。パーディ本人の発言。
これはどうやら「ドラムマガジン」の1993年4月号でのインタビュー記事が発端みたい。
・・・・・比較的新しいネタなんだな。

「俺はビートルズの曲、初期の21曲で叩いている。その21曲ではリンゴは叩いていない」
「63年の夏、キャピトルのスタジオでドラムをオーバーダブした。」

さて、注目すべきはこの「初期の21曲、63年の夏、キャピトル、オーバーダブ」という点。

1963年の夏と言えば、ビートルズは2枚目のアルバム「With the Beatles」を
録音している最中で、この時点で実は21曲も公式録音がされていないのである。


そして、キャピトル。
キャピトルレコードはEMI傘下のアメリカのレーベルなんだけど
この63年の時点では、キャピトルはビートルズ関連を扱ってはいないのだ。

時代背景を加味すると
イギリス本国では爆発的人気だったビートルズも、アメリカでは
「イギリスのいなかっぺがなんぞやっとる」という認識だったので
アメリカのレーベルはどこもゼニかけてまで、
異国のグループのレコードを出す気はなかったんである。

なので、アメリカで最初にビートルズのレコードを出したのは
ヴィージェイ、そしてスワンという弱小レーベルが最初。
(しかもこの2社は数年後には倒産している。)

キャピトルがしぶしぶリリースした最初のシングルは「抱きしめたい」。
本国イギリスではすでに5枚目のシングルにあたる。

この曲の録音は1963年10月17日にイギリス、アビーロード第2スタジオで行われている。
本サイトの「抱きしめたい」詳細はこちら
アビーロードスタジオでは、録音の際に誰がどういう事をしたか、
という日誌をつけるのが義務づけられていて、それがそのまま本になって出版されています。
(もちろん買って、穴の空くほど読んでますw)

当時のイギリスは、ラジオでレコードをそのままかける事ができなかったぐらいに
演奏家の権利が主張されていて(組合があったのです)
ビートルズもわざわざラジオの為の録音セッションを数回行っています。
(それが「The Beatles Live at BBC」というCDになって発売された)

さて、ここに当時アメリカでキング・カーティスバンドに所属していたパーディが
居合わせたかというと、これはもう無理、というか
わざわざアメリカから呼ばなくても、本国には腕のいいドラマーなんていっぱいいるはず。
というか、新人アーティストにそこまでするわけがないし、
大体、パーディもこの時期はそんなに評価もされてないはずだし。

実際、ファーストシングルの「Love me do」はリンゴ・スターのドラムで発売された後
本国のセッション・ドラマーであるアンディ・ホワイトを使って録音しなおされている。
(1stアルバム「Please Please me」に入ってるのはアンディバージョン)

最後に「オーバーダブ」。
ビートルズのレコーディングにおいて、4トラックのレコーダで録音されたのは
1964年2月のセッション以降である。
(アルバムでは3rd「A Hard Day’s Night」以降)」
これはマスターテープが現存している事がその証拠になる。
1963年の時点では2トラックレコーディングなので
まず、演奏(たまに歌も)を録音して、次に歌(たまにコーラス、パーカッション)を
録音して終わりなので、どうやってもドラムだけオーバーダブはできないのである。

ということで、
パーディの発言である「1963年夏、キャピトルでオーバーダブ」というのは
どこをどう考えても、自分には『ホラ』としか思えないのが結論。

まあ、しかし「記憶」というのは曖昧なもんで
僕も自分の結婚記念日の月日は覚えていても、何年かは覚えていませんし(笑)

なんでこんなウワサが出回るのか、それを考えてみると
ビートルズに関しては、ドラマー周りには常にきな臭い話題があった為ではないかと。

EMIでのデビュー前に、ピート・ベストからリンゴに代わった事もしかり。
デビューシングルでのセッションマン起用。
リンゴが扁桃腺の病気で、ライブで数回代役起用(ジミー・ニコル)。
そして「ホワイト・アルバム」でのリンゴ一時脱退事件もあったな。

公式録音曲でリンゴ以外がドラムを担当しているのは以下の曲。
1.Love me do(1st収録バージョン)
2.P.S.I Love You(1st収録)
3.Back in the USSR(ポールがドラム担当)
4.Dear Prudence(ポールがドラム担当)
5.Wild Honey Pie(ポールがドラム担当)
6.Martha my Dear(ポールがドラム担当?)
7.The Ballad of John and Yoko(ポールがドラム担当)

ん・・・・・・公式録音曲?
そうか、もしかしたらと思って、突っ込んで調べてみた。

EMIからのデビュー前、ドイツ、ハンブルグにビートルズが遠征してた時点で
(この当時のドラマーはピート・ベスト)レコーディング・セッションがあったはず。
ドイツのシンガー、トニー・シェリダンのバックで9曲録音していたのを忘れてた。
My BonnieとかAin’t She Sweet(なぜかこの曲はジョンが歌ってるw)とか。

ビートルズがスターになった後、このデビュー前のセッションが再発売される際に
「ドラムがスタジオ・ミュージシャンによって差し替えられている」、との記述があったのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%AE%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

このドイツ・セッションのアルバムのアメリカでの発売元はアトコ・レーベル。
アトコといえば、アトランティック系列。
あの当時、キング・カーティスがアトランティックと契約していたので
「雇われドラマー」として、ドラマーのパーディが呼ばれてもおかしくない!

結果、パーディは
「ビートルズの演奏の差し替えを行った」と言えるのかも知れませんね。
21曲ではないですけども。

まあ、でも「あいつはワシが教えた」みたいなビッグマウスは
黒人ミュージシャン(特にブルーズマン)の専売特許なので仕方ないのかも(笑)

あ、かといってパーディが嫌いなわけではないです。
彼のドラムは最高に気持ちいいので。

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