ビートルズの12枚目の英国オリジナルアルバム、そしてラストアルバムとなった「レット・イット・ビー」の6曲目に収められているナンバー。
1970年5月8日に発売されているこのアルバムだが、録音は前アルバム「アビイ・ロード」より前に行われている。
作者のポールがリード・ヴォーカルを取っており、オーバーダブを重ねて作られたコーラスをジョン・ポール、ジョージの3人が担当している。
ビートルズにとって22枚目のオリジナルシングルであり、活動中に発表された最後のシングルとして
アルバムに先駆けて1970年3月6日に発売された。
カップリングは「ユー・ノウ・マイ・ネーム」。
この曲が録音開始されたのは1969年1月25日。サヴィル・ロウのアップルスタジオ。
この日のテイクは後に「The Beatles Anthology 3」に収められた。
翌日の1969年1月26日のセッションでも演奏されている。
1969年1月30日にビートルズはアップルビルの屋上でコンサート、および録音を行ったのだが、
その翌日である1969年1月31日にはアップルスタジオで「屋外向きでない曲(静かな曲)」のセッションを行った。
その際にこの曲が9テイク(テイク番号は20~29)録音されている。
1969年4月30日。アビイ・ロード第3スタジオ。
この日にジョージのリード・ギター(レズリースピーカーに通した物)が第27テイクにオーバーダブされる。
「オーバーダブを排除したアルバム」がコンセプトの「ゲット・バック」であったが、唯一この曲のみオーバーダブされた物が収録されている。
1969年5月28日に一応アルバム「ゲット・バック」は完成しているが、このアルバムは未発表となった。
この時期にはビートルズは「アビイ・ロード」のセッションに突入しかけており、このテープは1970年まで放置される。
1970年1月4日。アビイ・ロード第2スタジオ。
ビートルズとして最後にスタジオに集まった日である。(ジョンは不参加)
この日はポール、ジョージのコーラスをオーバーダビングし、リダクションしながらブラスセクションをオーバーダブ。
このリダクションは3回行われて、第30テイクがベストと判断された。
そして第30テイクにジョージのリード・ギター(歪んだ物)がオーバーダブされる。
1970年3月6日。ジョージ・マーティンがプロデュースしたものがシングルとして発売。
1970年3月26日。アビイ・ロードスタジオ4号室。
アルバム「レット・イット・ビー」のプロデューサーとして就任したフィル・スペクターの手により、最後の繰り返しが編集によって1回増やされた。
リリースの際にはリンゴのハイハットにディレイが激しくかけられて、各楽器のバランスを変更している。
この曲には女声コーラスやオーケストレーションはオーバーダブされていない。
1968年10月に「ザ・ビートルズ」 (通称:ホワイト・アルバム)のセッションが終了。
マネージャーだったブライアン・エプスタインの死後、船頭を失ったビートルズはアップルの設立など、
半ば無茶とも思える試みを行ってきた。
華々しく見えたビートルズの前途であったが、内部はすでにバラバラの状態だったのである。
当時グループを引っ張る立場であったポールはある提案をする。
混沌とする活動状況を打破する為に、ポールが打ち出したのは「原点に帰る」というコンセプトだった。
デビュー時の様にオーバーダブなしのライブでアルバムを制作しコンサートツアーを行う、という企画である。
しかし、アルバム制作は了承したものの、他の3人(特にジョージ)はツアーには難色を示す。
妥協案として1度だけのコンサートも企画されたが、これも結局流れてしまった。
最終的にリハーサルなどを含むドキュメンタリーを制作しテレビで放送する、という事で合意した4人は
1969年1月2日にトゥイッケナム・フィルム・スタジオに姿を現し、リハーサルと撮影、録音を開始する。
「ゲット・バック(原点に帰る)・セッション」の始まりである。
しかし、いつも撮影されているというプレッシャー、そして薄ら寒いだけの撮影スタジオという慣れぬ環境。
張り切るポールはあれやこれやとジョージに指示、ジョージはそれに反発して口論となり
5ヶ月前にリンゴがしたように、1月10日にスタジオを飛び出してしまう。
数日後にジョージは復帰するが、テレビショウに関しては意見を曲げず、結局この企画は流れてしまう。
ビートルズは結局、トゥイッケナム・フィルム・スタジオでのリハーサルを中止し、
自らが作ったアップル・スタジオに移動して、1969年1月22日からセッションを再開。
ジョージはこの日たまたまアップルに居合わせたキーボード奏者、ビリー・プレストンをセッションに誘う。
外面の良いジョンとポールに対して、外部の人間を引き入れるのは効果的だった。
映像撮影、そして「オーバーダブをやらない」というコンセプトのアルバム制作は続行されるものの
1969年1月30日のアップルビル屋上でのコンサート、そして翌日のスタジオセッションをもってセッションを中断。
総時間、90時間以上の撮影・録音テープを残したまま、ビートルズはアップルスタジオを去った。
2月22日には「アビイ・ロード」に収録される「アイ・ウォント・ユー」の録音をトライデントスタジオで開始。
そして3月の初旬、ジョンとポールはグリン・ジョーンズに1月のセッションテープからアルバムを作る事を依頼する。
4月11日にこのセッションからのシングル「ゲット・バック / ドント・レット・ミー・ダウン」がまず発売された。
4月14日にはジョンとポールが二人で「ジョンとヨーコのバラード」を録音。これは5月30日に発売された。
そして5月28日。グリン・ジョーンズはアルバム「ゲット・バック」を完成させる。
このアルバムのためのフォトセッションも行われた。
デビューアルバムと同じ場所、同じ構図での写真撮影はこの時のメンバーの意気込みを感じさせたが
このアルバムは発売延期の声明が出された。
しかし後に、北米のラジオ局用に作ったサンプル盤からこのアルバムの海賊盤が作成される事になる。
この後7月からはアルバム「アビイ・ロード」のセッションが本格化。
そして9月26日にアルバム「アビイ・ロード」が発売。
アルバム「ゲット・バック」の事は誰もが忘れかけていたが、1月の撮影フィルムを映画にする事だけは決まっていた。
年が明けて1970年1月3日。
あの悪夢のトゥイッケナムからちょうど1年後のこの日、ビートルズ(ジョンを除く)はアビイ・ロードに集まる。
正式な録音がされていなかった「アイ・ミー・マイン」の録音のためである。
これは映画との整合性を図るために追加で行われたセッションだった。。
そして1月4日のセッションがビートルズとしての最後の録音セッションとなった。
未だに「延期」としてアナウンスされているアルバム「ゲット・バック」は
1月5日に収録曲を入れ替えて再度グリン・ジョーンズによって制作される。
3月6日にはラスト・シングルとなった「レット・イット・ビー」が発売されるが、アルバムは結局発売されなかった。
1月27日。
アビイ・ロードスタジオでジョンは自己のソロ名義であるプラスティック・オノ・バンドの3枚目のシングルである「インスタント・カーマ」を録音開始。
このレコーディングのプロデュースは、名プロデューサーであるフィル・スペクターであった。
ジョージもギターでこのレコーディングに参加。二人はフィルの仕事ぶりに大変感銘を受ける。
そしてジョンとジョージは「ゲット・バック(になるはずだった)」のマスターテープをフィル・スペクターに託す。
「俺達と仕事がしたけりゃこの膨大なクズテープをアルバムに仕上げてくれ。」
フィル・スペクターは自分の持ち味であるオーケストラと女声コーラスなどを加えた「ウォール・オブ・サウンド」で処理を行い、アルバム「レット・イット・ビー」として制作が開始される。
ポールはこの決定を聞かされておらず、自分の楽曲に過剰なアレンジをされた事に激怒した。
そして4月10日。デイリー・ミラー紙がポールのインタビューをスッパ抜く。
「今後ビートルズのメンバーと作曲することはない」(ソロアルバム「マッカートニー」の販促物より)
4月17日にこのソロアルバム「マッカートニー」は発売され、ジョンは「脱退宣言を(自分のアルバムの)宣伝に使った。」としてポールを激しく批難した。
もはやこの時点でビートルズとしての活動は望むべくもなかった。
ラストアルバムとなった「レット・イット・ビー」は1970年5月8日に発売された。
ここに4人の伝説は幕を閉じたのである。
撮影されたフィルムは映画「レット・イット・ビー」として1970年5月20日に公開された。
バラバラになりつつある4人の姿がこの映画にはありありと映し出されている。
その後、ゲット・バック・セッションの膨大なテープは流出し大量の海賊盤を生み出す事となった。
2003年にはリミックスアルバム「レット・イット・ビー...ネイキッド 」が発売された。
これは「当初出すつもりだったオーバーダブなどを含まないアルバム」としてのコンセプトに乗っ取り、現在のアビイ・ロード・スタジオのエンジニアが、当時のマスターテープから改めてリミックスしたものである。
ジョージ・マーティンやビートルズのメンバーはこのアルバムの制作には一切関わっていない。
たまに「レット・イット・ビー」のアルバムから音を取り除いた、と表現される事があるが間違いである。
実際に異なるテイクを繋ぎ合わせたりの処理が行われているし、アルバム「レット・イット・ビー」に使用されたテイクとは明らかに違う曲もある。
またこの「ネイキッド」は当時制作されたアルバム「ゲット・バック」とは全く違うものである事も表記しておく。
シングル・バージョン
アンソロジー3収録の別テイク
映画「レット・イット・ビー」より
未発表アルバム「ゲット・バック」より
ブートレッグより。
When I find myself in times of trouble Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom, let it be.
And in my hour of darkness She is standing right in front of me
Speaking words of wisdom, let it be.
Let it be, let it be. Let it be, let it be.
Whisper words of wisdom, let it be.
.And when the broken hearted people Living in the world agree,
There will be an answer, let it be.
For though they may be parted there is Still a chance that they will see
There will be an answer, let it be.
Let it be, let it be. Let it be, let it be. Yeah,
There will be an answer, let it be.
Let it be, let it be. Let it be, let it be.
Whisper words of wisdom, let it be.
Let it be, let it be. Let it be, let it be.
There will be an answer, let it be.
And when the night is cloudy, There is still a light that shines on me.
Shine until tomorrow, let it be.
I wake up to the sound of music Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom, let it be.
Let it be, let it be. Let it be, let it be.
There will be an answer, let it be. let it be.
Let it be, let it be. Let it be, let it be. Whisper words of wisdom, let it be
ビートルズ公式録音曲213曲を徹底的に解説!テイク違いやミックス違い、そして2009年リマスターについてを動画等を交えて書き連ねています。
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